私の偏った持論の1つであるが、
「人生、なめてるくらいがちょうどいい」
ということ。
人生の諸先輩方は、はしゃぎすぎの私を見て、
「そんなに人生/世の中甘くないよ」
という人が多い。
苦労なされてきたんだなぁとは思うが、
こういう方は「疲れている」方が多い。
私が思うに、
若い人に対し、口をついて「人生甘くないよ」という方の多くは、
自分の人生の大部分を「環境」のせいにしていると思う。
「人生/世の中甘くない」という発言の裏には、
前提として、「チャレンジした」という過去があり、
そのチャレンジしたことに関する結果が芳しくなかったことを、
その原因を「世の中の仕組み」や「周りの人間」に求めている。
自分に原因を求めていたのであれば、
「あれは、自分の失敗だった」というはず。
少なくとも、事象の原因を「自分」と「自分以外」にあるとして、
自分が主な原因であると認識しているならば、
世の中や人生に原因の所在を求めることはないであろう。
また前提として「チャレンジした」と書いたが、
感覚的に、「チャレンジしたことがなさそう」もしくは、
「さっさと諦めてそう」な人ほど、こういうことを言う。
逆に、これも感覚的であるが
チャレンジをして、さらに諦めず成功した人は、
「運のよさ」と「感謝」の言葉が出てくる。
・自分は運がよかった。
・周りのおかげでうまくいった。
・ちょうど波が来ていた。
などなど。
外部環境への意識の持ち方が、
「悲観的」か、「楽観的」か。
これは、逆に自分に対してへの意識の持ち方も
根本的に違う。
外部環境に悲観的な方は無意識に、
自分を正当化・弁護している。
外部環境に楽観的な方は無意識に、
自分に対して厳しく、常に内省しており、
ある種の謙虚さを持っている。
論理的には説明しきれないが、
自分が外部環境を、よくないときの言い訳にしたくなく、
基本的には自分の内面を磨く方向で進んでいきたいと
思っているため、
人生・世の中に対して楽観的に、つまり極論すると、
「人生・世の中をなめる」という姿勢で
生きていきたいと思っている。
2009年1月21日水曜日
人生、なめてるくらいがちょうどいい
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